神戸ルミナリエ2019を振り返る – カメラの設定よりもレンズの焦点距離と開放F値が大事という話

神戸ルミナリエ2019

今年で25回目となる神戸ルミナリエも好評のうちに閉幕した。去年は試験点灯の日に一部写真家達の撮影方法に関して一悶着あり、Twitterに掲載された現場告発写真が新聞などでも大々的に取り上げられて、当該ツイート写真に触れた筆者の「震災当事者としては気持ちを踏みにじられる思い」という言葉を的確に選んだツイートが産経新聞に元被災者の声としてそのまま取り上げられて吃驚もした。浅ましいの一言に尽きる騒動だったが、皆が毎年楽しみにしているイベントに関して溜まりに溜まった憤りを長文にしてぶつけるのも水を差してしまうであろうし、鏡のように澄み切った気持ちで過去のことは水に流して今年2019年の神戸ルミナリエを振り返っていきたい。

そもそもルミナリエが開催された当時は、被災した神戸市民またその周縁に住む市民達を勇気づけたイベントでもあったと記憶しているが、震災から25年も経とうとしていると被災者も高齢化してあの震災を知らない世代も増えてきていることから、慰霊や鎮魂という目的意識の方は徐々に薄まりつつあり、観光の側面の方が強く出てきている感はある。25年というと、例えるなら昭和20年(1945年)の塗炭の終戦から、戦後復興を成し遂げ高度経済成長の到達点となった昭和45年(1970年)と同じ歳月である。つまり1970年という時代から戦後を見ると、あの凄惨な太平洋戦争はまだそう遠い時代の事ではなかったという事が、阪神淡路大震災から25年経とうとしている今の時点から当時の光景を振り返るとパラレルに理解できる。思えば震災の光景も、戦争と似通った所があった。登下校時に歩いていたガードレールは飴細工のように捻れ、高速道路の高架橋が横倒しになった姿は、無敵の巨人が倒れたような衝撃的な光景だった。世の中には絶対的・永続的なものはないという事を肌身を通じて知った瞬間だった。子供特有の万能感が打ち破られた瞬間でもあった。テレビで見たユーゴスラビア内戦の光景が、そのまま日本にもやって来たような凄惨な光景だった。ブラウン管を通してではなく、肉眼を通して目の前にその光景が五感を通して他人事ではなく我が事として存在してあるのだ。

ルミナリエの奥の方へ行くと、当時の震災の被害写真などがファイルに閉じられてあるスペースも設けられており、また灯火もあった。そのスペースだけは、浮かれたカップルや学生達や家族連れの喧噪から心理的に遠く離れて当時の様々な労苦や知人を失った哀しみを静かに偲ぶ事が出来る。

震災から25年経とうとしているが、神戸という町は震災前の賑やかさは取り戻せただろうか。この25年は、日本という国がバブルの繁栄から没落へと向かった長い25年とも重なる。その意味合いにおいても阪神淡路大震災は、心理的にも経済的にもターニングポイントではなかっただろうか。(全文:4,200字)

ルミナリエでは、以下の焦点距離をカバーしたレンズを持っていくと大体の絵は撮れる