自分の目で見て体感するのが重要

最近新聞のツアー旅行などの宣材写真や紅葉のニュースなどを見ていると、ドローンで撮影したものとおぼしき写真や動画が目につき始めた。人間の視点ではない鳥の目で見た絶景。そういった広告やニュースに限らずドローンで撮影した映像は綺麗でフォトジェニックではあるが、よくあるSNSでファボを稼いでいる写真のようにドヤ!的な印象も否めない。要はコマーシャリズムの延長線上にある写真だ。

そのような広告写真やポスター、映像などを見て、旅心が掻き立てられ自分も行ってみようかと訪れてみて、全く違った景色が出てきたら、広告やニュースで見たような絶景でなく全くの期待外れであったら、ただ交通費やガソリン代を無駄にして行っただけになる。ドローンで撮った秘境を見て実際に行って見たら、全くその様は景色には見えず、ただ山を登っただけになる。まぁそれだけでも楽しみにはなるだろうが、「思てたんと違う」という嘆息をつきかねない。

先日京都大原にある宝泉院を訪れた。伏見城の戦いの折の血天井や額縁庭園で有名なお寺でもあるが、昼に訪れた時にはそれほど印象深いとも思わなかったが、紅葉の夜のライトアップ時に訪れてみると、これがとても迫力のあるまさに日本画が描かれた巨大な屏風絵のような景色だった。

京都大原にある宝泉院の額縁庭園。
京都大原にある宝泉院の額縁庭園。

のんびりと写真を撮っていたのだが、他の観光客達ものんびりと腰を据えて色鮮やかな景色に見入っていた。それほどまでに引き込まれる庭だった。知人に実際にここを訪れて自分の目で見ることを強く勧めたいと思えたほどだ。

大きな仏像や金で飾られた豪奢な教会など、昔の人はそういったものに目で触れ、有り難がって寄進したというが、神が死んでしまった科学万能の現代では、どうもそういう昔の人の感覚が分かりづらい。信仰心などは今よりも強烈だったのだろうが、産まれたときから合理的な科学文明に育まれてきたのでそういった信心深さが欠片もなく理解しづらいところがある。

しかしこうして自分の足で訪れてみて、自分の目で素晴らしい庭や黄金色の仏像を見てみると、神や仏が心の中に深く根付いていた信心深い昔の人たちの気持ちが分かるような気がした。いつまで見ていても飽きない。そしてしんと張りつめた空気の中で心に染み渡っていくものがある。

インターネット時代に突入して、検索すれば画面でいくらでも絶景を見ることが出来る時代。しかし実際にその地に訪れて、自分の目で見て、自分の耳で聴くことの大切さを感じた1日だった。ネットで調べて得た知識だけで知った気になってはいけない。これは写真撮影にも言える。実際に現地を訪れて、目で見て、肌で感じることが重要なのだ。