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絶景哉六甲山! 芦屋ロックガーデンと六甲山最高峰の眺望!

六甲山最高峰は標高931m。
六甲山最高峰は標高931m。

山に登りたいという欲求が最近ふつふつと湧いてきて、晴れのち曇りという天気だったので、昼過ぎには曇って気温も涼しくなり楽に歩けるかなと、突発で六甲山に登ってきた。トレッキングシューズだけはあらかじめ購入してあった。子供の頃は普通に普段着と運動靴で登っていたが、最近はハーフパンツにスパッツを身につけトレッキングポールを手にした洒落た格好で歩いている登山者を街中でもよく見かけるようになった。そのような洒落た登山服やカラフルなトレッキングポールは持ち合わせていなかったので、半ば部屋着で足下だけは登山靴という格好で、リュックは街歩き用のしかし収容力は抜群の物を担いで登る事にした。

芦屋川と六甲山。良く晴れている。
芦屋川と六甲山。良く晴れている。

芦屋ロックガーデンを楽しもうということで、朝9時前に家を出て、阪神芦屋駅から歩いて高座の滝まで目指す。登山は子供の時以来で、土日にはよく親に連れて行ってもらっていた。高座の滝に着くまでは普通の住宅街の中を歩くのだけれど、これが結構な坂道で、油断して早足で歩いていたら、途中でバテてしまった。花火撮影で市章山を目指したときにヴィーナスブリッジに辿り着く前にバテて心臓がバクバク、呼吸も狭まり、気分が悪くなったときと同じだ。しばらく腰掛けて水分補給し休んでいたが症状が回復しないのでしゃがみ込むことにした。これはもう今日は登山は無理ではないかと自分の体力の不甲斐なさを恥じる程の辛さだったが、症状から回復したら少し楽になったの気を取り直して再出発、高座の滝を目指すことにした。

高座の滝。ロックガーデンの入り口にある滝の茶屋。懐かしい。昔と変わっていない。酒類なども置いてあり、おそらく下山してきた登山者たちが一杯ということで買って飲むのだろう。そういえばここはおでんも名物だった。

滝の茶屋。
滝の茶屋。

奥には大谷茶屋も連なり、食べ物飲み物には事欠かない。こちらも昔の姿とちっとも変わってない。懐かしい。休日には賑やかしそうだ。

何でもロックガーデンは近代登山発祥の地で、外国人が登山ルートを開発したのだそう。高座の滝の岩肌にはロックガーデンの名付け親で日本を代表する登山家であり山岳詩人・藤木九三のレリーフが飾られており、案内板がその功績を讃え、後世に伝えている。子供の頃はあそこに飾ってある顔は誰だろう??市長の山村さんより偉いのだろうか、という不思議な気持ちで見ていた。

高座の滝
高座の滝

六甲山と言えばイノシシが出ることでも有名で、昔山の方に住んでいたときにはイノシシの親子が空き地に迄降りてきて鳴いていたのを聞いたことがある。近所の住民はイノシシに追いかけれられ尻を噛まれたそうだ。元々イノシシは人を襲う習性はなかったが、登山者達が餌付けしたので、人間は餌を持っていると学習してしまい、襲うようになったとか。地図の読み物や登山者の話に耳を傾けてみると、昼食時に置いてあるリュックサックなどもどこからともなく現れて、中に食べ物があると学習しているから、そのまま奪って行ってしまうらしい。

イノシシといえば花火撮影の折に神戸の市章山に登った帰りの夜道に、見事に遭遇した。ガサガサッと音がしたので、LEDライトで山道の先を照らしてみると、イノシシの目が光っている。とっさに踵を返して逃げたが、背を向けて逃げると追いかける習性があるらしいので、こういう場合は目を合わせつつ後退するのが良いらしい。そのときは運が良かったのか追いかけられなかった。

ロックガーデン中央稜のコースを取った。地獄谷と呼ばれるコースもあるのだが、登山中級者や経験者が付き添っていなければ初心者は危ないということを後になって検索で知った。ゲートロックを超えて、幾つかの滝やA懸垂岩、C懸垂岩跡、B懸垂岩跡などを自力で登るのだそうだ。名称なども併せて聞いていると面白そうだが、最近初心者の登山者による事故が多発していると地図に書いてある。この先にある万物相と呼ばれる花崗岩が風により浸食して出来た珍しい岩肌を見たかったが、突発での登山だったこともあり下調べが出来ておらず見逃してしまった。今回は子供の頃に歩いたルートをなぞるという趣旨で訪れたので仕方がない。地獄谷を通らずとも第一目的地の風吹岩からも訪れることが出来たそうで、とても残念である。

芦屋ロックガーデン。
芦屋ロックガーデン。

風吹岩を目指して登る。子供の頃は山火事の注意喚起を促す可愛い猿のルート案内看板が設置されていたが、高座の滝にはなかった。登っていくと幾つか残っていたが、雨による錆が酷くて判別できないものが大半だった。ふと歳月を感じさせる、ノスタルジックな気分を催させる光景だった。

猿のイラストが描かれた案内板は朽ちていた。
猿のイラストが描かれた案内板は朽ちていた。

ロックガーデンというだけあり、肌色の岩肌をよじ登っていく。中央稜のコースは初心者でも簡単に登ることが出来る。岩肌の色が新鮮で形なども面白く、目が飽きない。

ちょっと登ると早速景色の良い眺望を楽しむ事が出来た。

芦屋ロックガーデンからの眺望。
芦屋ロックガーデンからの眺望。
ロックガーデンの岩肌。
ロックガーデンの岩肌。

こうして改めて写真で見ると、そそり立っているように見えるが、地獄谷のように垂直の岩肌を登る事はないので、初心者でも簡単に登る事が出来る。ただ上の写真を見ると、これを実際に登ったのか、果たして写真の岩肌とは違う迂回ルートがあったかどうか、つい昨日の事なのに覚えていない。超広角レンズのレンズマジックか?

メインルートを外れた所に小高い岩肌が見えたので、行ってみる事にした。なるほどこれが花崗岩か。足下でざらざらと崩れ落ちる。しかし眺望は良い。向こうの方に、地獄谷方面だろうか、とても特徴的で珍しい岩肌を確認する事が出来た。

なかなかの良い眺めだが、足下の石が細かく砕けていて、ざらざらと滑りやすい。
なかなかの良い眺めだが、足下の石が細かく砕けていて、ざらざらと滑りやすい。
人が登っているのが見える。
人が登っているのが見える。

ほんの少しルートを外れたので戻ってこれるかなと心配だったが(元の道はなんとなく見える)、無事合流できた。

花崗岩の色のせいか、とても明るい雰囲気のある山道だ。先へ進むとようやく開けた場所に着いたが、ここは風吹岩ではない。そもそも風吹岩とはどのような岩であったが、よく思い出せないが、昔この開けたところでお弁当を食べた記憶はある。確か店も出ていてラムネなどを売っていた記憶があるのだが、さすがにあの頃の店主は亡くなっただろう。平日に行ったからひょっとしたら休日には何か店が出ているかもしれないが、あれからウン十年と経ったのでやはり後継者も無く、店の跡もないし、やはりもうやっていないのだろう。蜂の巣もついでにぶら下がっていた記憶があるが、この日は無かった。

山道に唐突に現れる開けた場所。子供の頃はここで母親の手作り弁当をよく食べていた。
山道に唐突に現れる開けた場所。子供の頃はここで母親の手作り弁当をよく食べていた。

なかなか風吹岩に出ないなと訝りながら歩いていたが、ようやく到着した。良いトレッキングだ。皆弁当を広げて食べている。岩をぐるっと回ってみたが、右側の側面が見事な絶壁で、これはひょっとしたら、甲府の岩殿山城の岩肌などはこれくらいの絶壁かもしれないと妙な連想をしてしまった。

風吹岩。
風吹岩。
風吹岩の側面。
風吹岩の側面。

風吹岩にのぼり、しばし景色を楽しむ。

風吹岩の天辺からの眺め。
風吹岩の天辺からの眺め。

降りて左側に行くと、朽ちかけた郵便ポストが置いてある。二人連れの年配の登山者達の話に耳を側だてていると、ここで雨宿りできるとか、避難場所になっているとかいう話が聞こえてきた。

雨宿りの場所?
雨宿りの場所?

昼食をパパッと食べる。猫が二匹うろついていたが、逃げる様子も無い。きっと登山者達に餌付けされているのだろう。油断していたらイノシシも出そうだ。リュックサックごと持って行ってしまうと別の登山者が話していた。

さて第一目標の風吹岩にも到達したし、ここからどのコースを取ろうか迷う。魚屋道辺りを通って阪急岡本駅に出るコースを選んで早めに下山しようか、それとも六甲山最高峰を目指そうか。せっかくここまで歩いたし、ここは六甲山最高峰を目指そうとコースを決める。

杉などが聳えている光景に出くわす。
杉などが聳えている光景に出くわす。

第二目標は、雨ヶ峠。途中芦屋カンツリークラブというゴルフ場の敷地内を突っ切る事になる。そういえばこんな扉あったなぁとふと昔を思い出す。ゴルフボールよけの網の屋根も付いていた記憶があるが、この日は無かった。木々の間から緑のグリーンが垣間見えゴルフを楽しむ大人達の声が聞こえてくる。山道を登りながら、ようやく雨ヶ峠に辿り着くが、少し開けた場所なだけで特に何も無い。木々が生い茂っており、雨が滴り落ちそうな雰囲気ではある。

休憩するには少し生い茂っているし、先を急ぐ。しかし登山というのは自分のペースでゆっくりと歩かないとすぐにバテてしまう。急ぎ足は禁物だ。特に登り坂では。

本庄橋跡を目指す。旧跡大好き。深江湾で採れた魚を有馬の山まで運ぶのに直線的な魚屋道が使われたとあるが、本来は幕府の定めた西宮などを経る正規ルートでは無く、近道として利用されたとか。その為、遠回りされては利害関係が絡む西宮などの宿場の商人から「抜け荷の道」と称されて、幕府に禁止するよう訴え出て、紛争がしばしば起こったとある。

本庄橋跡へと続く橋。
本庄橋跡へと続く橋。

この魚屋道(ととやみち)、地図で確認してみると確かに深江から甲南山手駅を経て、山に入り、やや蛇行してはいるものの、風吹岩を経て六甲山最高峰を出て、有馬温泉へとほぼ直線的に続いている。その途上にある本庄橋跡というわけだ。ここから少し先を行き右にルートを取ると、六甲山中で唯一の草原が拡がる見晴らしの良い東おたふく山に出る。

しかし昔の人は、重い荷物を担いで山道の中、有馬まで行ったのだと思うと、ただひたすら感心してしまう。魚が腐らないように水の入った桶を担いで山道を歩いていたのだろうか。

七曲がりの方へ出て、六甲山最高峰を目指す。七曲がりと言うだけあって道が何度かくの字に曲がっている。何とも曲者だ。七曲がりと言えば吉野山にも似たような名称の道があった。アレもくの字に曲がっていて曲者だった。

この七曲がりが結構きついのでマイペースでゆっくり歩かないとバテてしまう。地図で見ると50分ほどかかるとある。なかなかに長い。山道の途中にある道標で、六甲山最高峰まで2時間20分とかの表示を見かけるが、そんな長い時間歩かなければならないのかと思いつつ、時折垣間見える山の頂を見て、あんな高いところまで登らなければならないのかと一抹の不安を抱えつつ足を着実に進めていく。このかかる時間が減っているのを道標で確認する度にホッとするのだが、七曲がりを歩いているときにはそれらの道標も無く、ただひたすら長い上り道を歩いた。スマホのGPSで今どこにいるか確認したが、圏外で地図の方がダウンロードできていなかったので、どこ辺りなのかよく分からない。

車の走る音が聞こえてきたので、もうそろそろかとスマホの地図で確認すると、見事に車道と現在地が重なり合っていた。ようやく開けた山頂に辿り着く。近くには一軒茶屋があり、かき氷他、山頂到達記念のバッチを売っているとあるが、来月カードの引き落としが大変なので節約した。

一軒茶屋。魚屋道を来た魚の行商人の休憩場所だったという。
一軒茶屋。魚屋道を来た魚の行商人の休憩場所だったという。

実はここは最高峰ではなく、車道の向かいの坂道を5分ほど登って、ようやく六甲山最高峰に辿り着く。ハイカーが草の生い茂った階段を降りてくるのが見えたので、あの道が最高峰へと続く道だろうかと迷った。最初地図を見ても分かりづらく、とりあえず地図の見た目では下の方に最高峰へと続く道があるっぽいので車道を下っていったが脇道もないので、戻るとやはりあの入り口がそうだった。

実際登ってみると、巨大なアンテナが見える。ここは昔米軍基地の通信施設があった場所で、かつて六甲山最高峰は立ち入り禁止だった。1992年に巨大なパラボラアンテナが撤去されて別の通信塔が出来たので、ようやく最高峰に入れるようになったが、慣れ親しんだ自分の街から見える六甲山の頂が米軍基地だった事を知ったのはずっと後になってからの事で、何とも複雑な気持ちになったものだ。日本の領土内に他国の主権が食い込み、立ち入り禁止となっていて、かつ見下ろされているという事実に。

六甲山最高峰の通信塔。うっすらと月が出ていた。
六甲山最高峰の通信塔。うっすらと月が出ていた。

日本の東京の空は日本の物では無く米軍の物で制空権はアメリカが握っているという話もテレビかネットニュースで聞きかじった覚えがあるが、戦後を経てもなお日本はアメリカ軍に占領されているのだろうかという被害者じみた意識がふと芽生えてしまう。とはいってもだいたい世界各地に米軍基地は点在しているし軍施設は立ち入り禁止である事が当たり前だろうから、考えすぎなのかもしれないが。六甲山に米軍が駐留していたという意識は全くなかったし、沖縄の米軍基地ほどには占領風ではない。

あと米軍基地が六甲山頂にあるという事を知って、ふと村上春樹のデビュー作で氏の育った街である芦屋を舞台にした『風の歌を聴け』を思い浮かべた。あの作品にもベトナム戦争で戦地に向かう飛行機が空を飛んでいくシーンがあったと記憶しているが、どことなく日本が未だに米軍の占領下にあるという空気のような見えない意識が生じてきて、ふと自分の知らない懐かしい時代の空気というか匂いがあの小説から立ち上がってくるのだ。このような小説は電子書籍よりも紙の文庫本や発刊以来から書体の変わらない単行本を買って読むのが味わいがあって一番いい。しかし最新の文庫本などは、読書離れの若者におもねったのか、大きい太いゆとりのある文字になってしまい、どうも70年代の雰囲気が削がれてしまう。2000年前後に出ていた文庫本の小さめの文字が雰囲気があって自分には良い。

六甲山最高峰から見える景色は絶景哉絶景哉。この感動は自分の足で登った者にしか味わえない。西を向けば山の峰が連なり、東を向けば大阪の都会が一望できる。山の景色は吉野山の眺望と似通った趣があり、ミニチュアのように並ぶ無数のビルは五月山よりも眺望が良いのではないだろうか。夜に訪れて望遠レンズで夜景を撮ってみたいという思いに駆られたが、ここまで辿り着くのが大変だったし、帰りはどうしようかという話になる。イノシシもおそらく夜の山道の方が遭遇しやすそうだ。

六甲山最高峰付近から見渡せる大阪の街並み。
六甲山最高峰付近から見渡せる大阪の街並み。
月がうっすらと出ていた。
月がうっすらと出ていた。

下山。西おたふく山への入り口へ向かうため、車道を西に降りていったが、摩耶山行きと書かれた六甲全山縦走という、新田次郎の小説『孤高の人』で知られる国宝級登山家加藤文太郎の足跡でもある道を行くと、車道を歩く必要の無い事が分かった。右足が少し痛んでいたので東の奥池ルートで1時間ほど歩いてそこからバスで芦屋市街に出るという事も出来たが、せっかくだし住吉道を行ってみようという事で、歩く事にした。午後4時前に出発して、下山できたのは午後6時半頃。そこからバスで市街へ出る。

足下に笹が生い茂っている細い道を下山していったのだが、どことなく子供の頃にこのルートを歩いた記憶が笹を見て僅かながらに残っている事に気づいた。しかしこんなに長い道だっただろうか。とにかくほとんどが下り坂で、危険ではあるが走るように誰かに背中を押されているかのように駆け下りていった。足の負担が増し、遂に右だけで無く左足の踝辺りも痛み出して、これは登山用の分厚めのソックスを買っておいた方が良かったかと後悔し出す。ハイブーツ仕様なので足首から上に靴の布地が当たって痛む。下りと言えば爪先が突っかかりがちだが、一回り大きめのサイズを買っていたためかそんなに当たらないので、その点はあまり負担にはならなかった。

行きのロックガーデンと比べると、帰りのJR住吉駅に出るルートは、どうも面白みがない。帰り道だけに、残りの溜まった仕事を片付けているような、残飯処理をさせられているような感覚に囚われる下山だった。おまけに人気も無く、このまま夜が暮れたら心細い事この上ない。日が長い5月下旬の時期で良かった。時折横で笹がカサカサッと鳴ると、イノシシか?と恐怖に駆られるが、とにかく追われるように駆け足で先を急いだ。こういうときは山道の石を踏み台にすると足の負担が若干和らぐが、中には不安定な石もあるので油断できない。

しかし途中には、ホラーゲームに出てきそうな朽ちた舗道があったり、格好いいアンテナ塔が空を突き抜けていたりして、そこそこ見るべきものはあった。またロックガーデンとは異なる、鬱蒼とした山の中にふと広がる開放的な緑の景色も所々で楽しめる。深い山道を歩いていたら唐突に謎の湖なども出現した。誰かの話し声のようなものがカプカプと聞こえる不思議な湖だった。ふと宮沢賢治のクラムボンの詩を想起させた。先へ行くと尾瀬のような橋も架かり、ちょっとした広場も開けていて、おそらく夏の時期には子供達がこの川で水遊びをするのかもしれない。五助堰堤という壮大な人工の滝も見る事が出来た。マイナスイオンを浴びれたかな。このような建造物が住吉川の上流にあったとは。そして川の勢いも大変強い。住吉川の源流を見る事が出来たのも良かった。なんだ、ボロクソに言っておきながら、結構楽しんでるじゃないか。

ホラーゲームに出てきそうな寂れた舗道。
ホラーゲームに出てきそうな寂れた舗道。
格好いいパラボラアンテナ。
格好いいパラボラアンテナ。
突如現れた謎の湖。
突如現れた謎の湖。
原生林のような木々。
原生林のような木々。
壮大な五助堰堤。
壮大な五助堰堤。

ようやく住吉に出たが、まだここから1時間ほど歩かなければならない。見た事のない年代物のマンションに、覆われた木々から顔を伸ばすラピュタのような団地群。足を進めると、これまた海にかかる白いブリッジと遠くの山が水墨画のようにうっすらと見える中、都会的風景の中で夕暮れ時を迎えようと桜色に色づいている美しい空と遭遇する事が出来た。さすがに疲れたので、とっさに目に付いたくるくるバスというみなと観光の運営するバスで帰ったが、初めて乗るバスで勝手が分からず、逆方向に乗ってしまう。幸い運転手さんが親切な方だったので、よくして頂いた。

夕暮れ時のパステルカラーの美しい空。
夕暮れ時のパステルカラーの美しい空。

また機会があれば、別ルートで、ロックガーデンの万物相や東おたふく山にも訪れてみたいと思う。六甲山は初心者にも登りやすい山だ。子供の頃は普段着で軽い気持ちでよく登ったものだった。久しぶりに登ってみて、あの頃より体力が落ちたであろう自分でも登る事ができ、登山の楽しみを覚えた1日だった。