この世界の片隅に – 臨場感と親近感に溢れた今までにない戦争映画

この世界の片隅に

話題作「この世界の片隅に」を、年末に観に行ってきた。

元々この映画がヒットしているのを知ったのは、「この世界の片隅に」に出資している東京テアトルの株を優待目的で所有していたのがきっかけだ。Yahoo!ファイナンスの東京テアトル掲示板をちょくちょく覗いていたら、件のタイトルが目についたのだった。

ハリウッド映画よりもミニシアター系の文芸映画を好む僕としては、東京テアトルの株主優待券である映画鑑賞券は魅力的で、底値という事もあり2単元ほど買ってみたら、みるみるうちに買値より下がって8万円ほどの含み損が出ていた。

それが「この世界の片隅に」のヒットで、業績に対する思惑買いが入り、一時14万円ほどの含み益になったが、どうも仕手筋が介入していたのか、日経新聞が東京テアトルの話として、収益に与える影響は限定的と報じたのをきっかけに株価は元の木阿弥に戻り、今は4万円程度の含み益となっている。

映画の舞台は太平洋戦争前から終戦にかけての広島県の呉市。呉と言えば旧大日本帝国海軍の母港があった場所だ。10代の頃にコーエーから発売されていた「提督の決断」シリーズに夢中になってパソコンで遊びまくった記憶がある。その母港が呉で、軍艦は大抵呉から出航させていた。だから親近感がないわけではないが、ゲームのマップ上に点として表示されいてる呉という地点を知っているだけで、実際に呉の街並みは全く知らなかったから、今回「この世界の片隅に」を鑑賞することで、当時の呉軍港がどのような街並みであったのかを知る事が出来るだろうと、鑑賞前からとても楽しみにしていた。

コーエーから刊行された提督の決断艦船ファイルも当時購入して、今も手元に置いてある。ゲームに出てくる日米の軍艦のデータやエピソードなどが白黒の写真付きで掲載されていて、暇なときにはペラペラとめくって読んでいたものだ。

そういう子供時代を過ごしたので、旧日本海軍の軍艦や、太平洋戦争については詳しくなった。コーエーの提督の決断に関しては、第1作のメニューに「強制労働」という項目があり、週刊誌で問題視されたこともある。

しかしゲームの内容の一部にそういう問題があったとしても、あのゲームをプレイしてきたお陰で太平洋戦争に詳しくなったし、今もその時代についての知識欲は旺盛で、NHKのドキュメンタリーや市販されている本を読むようになったのだから、良い副作用なのではないだろうか。歴史に興味を持つと、人生の楽しみが増えるし、知恵が身につく。オマケにテストの点数も良くなる。

この映画、まずは子供向けの童話のような始まり方をする。ここで面食らうわけだ。これは現実の世界で起こった過去の悲惨な戦争を振り返る映画ではないのか?と。しかしどうも違うらしい。戦争映画と言えば、疎開先の田舎で苛められて逃げ出したものの、唯一の肉親の母親も東京大空襲で亡くすという救いようのないストーリー展開の「僕ちゃんの戦争」を個人的には思い出すし、今や日本で知らない人はいない戦争映画の代名詞ともなっている、スタジオジブリ高畑勲監督の「火垂るの墓」がまず思い浮かぶ。これらの映画に共通しているのは、疎開や空襲などの戦争に巻き込まれた一般市民の悲惨な運命だ。太平洋戦争を題材にした戦争映画は、おそらく知りうる限りどれも悲惨な結末を迎えている。辛く苦しいストーリー展開で、見終わった後には必ず憂鬱な気分になる。

しかし「この世界の片隅に」はまず映画の始まりからして、幼児向けの絵本のような、ほのぼのとした展開で始まる。アレ?何だろう、何か予想していたのと違うな、と思わせておいて、次第に日常的なストーリーへと進んでいく。

戦時下での日常風景がこれでもかというほど描写されている。あぁ、当時はこういう生活をしていたのか、海軍の母港呉というのはこういう風景だったのかと、戦争映画なのにありがちな悲惨な情景から遠く離れたほのぼのとした描写で、物語は進行していく。

次第に戦争らしいシーンも織り込まれていく。灯火管制や防空壕の様子、防空訓練、アメリカ軍の艦載機の攻撃、憲兵の取り調べ、降り注ぐ焼夷弾と焼け落ちていく民家、米軍機が去った後の爆弾の爆発シーン等々。しかし今まで見てきた戦争映画とどこか違うのは、悲壮感があまりなく、憲兵との切迫したやりとりも笑いに変え、明るくたくましく生きていこうとする主人公達の姿だ。悲惨な状況になるにもかかわらず、ひたすらに前向きなのだ。この点、やはり原作者が戦争を知らない世代だからだろうか。実際に原作者である漫画家も、死んだことがないので、死についてどう描いて良いか分からないということをインタビューで述べていたように記憶している。となるとこれは戦争を知らない世代が描いたファンタジー映画という見方も出来なくはない。戦争の悲惨さについては想像力で補うしかないが、補いきれない部分は当時の証言や時代考証を徹底的に行って綿密に描くことでリアリティを持たせることが出来る。まさにこの映画は時代考証というリアリティの面において、大変優れた内容となっている。

例えば呉の街並みにしても、花街の建物にしても、インターネットで検索して出てきたレトロな建築物を扱ったサイトに掲載されている写真と瓜二つの建物が出てきたりして、心が嬉しい方向にざわついた。よく調べているなと感心してしまった。その他の日常生活の事細かなシーンにしてもそうだ。良くこれだけ綿密に描けるなと感心してしまった。
もちろん時代考証的なシーン以外で、胸を打たれるシーンもある。主人公達の脇で何気なく、まるでモブのように描かれている原爆で被爆して黒焦げになって逃げてきた人。モブのように描かれているせいか、よりいっそうそこには原爆で被害を受けて死んでいく人の存在感が際立っている。よれよれになって逃げてきた被爆者は一言も喋らない。映画もその点について解説しない。カメラワークが静かに追っているだけだ。ただ黙って家の前に座り込む。そして死んでしまうが死の間際の描写も描かれず、死んでいるのかどうかさえわからない。しかし黒焦げだから死んでしまうのだろうと観客は思う。いったいこの黒焦げの原爆被爆者は誰なのか。映画の登場人物の会話の中で、ようやくその死と身元が示唆される。

まるで恐ろしいほどに無関心な気分に苛まれる。街で見かけるホームレスに対して我々が見て見ぬふりをして無関心を装っているのと同じように。時代や状況は違えど、頭の中で二つの情景がリンクする。そして否応なく人間の運命というものについて考えさせられる。一言も発することのない被爆者のシーンから。

空襲のシーンも凄い。今まで見てきた戦争映画でこれほどまでに臨場感溢れる空襲シーンは見たことがない。これはアニメだから成せる技なのだろうか。実写だと撮影が難しいし、模型や特撮を使うとどこか嘘くさくなってしまう。最近流行のCGは余りにもで出来すぎていてコテコテ感がつきまとう。実写もアニメもスクリーンに映し出されている映像を見ている観客からすれば2次元、2Dなのだが、時に映画というのは心象的に2次元が3次元に見えてくることがある。スクリーンの中に没頭してしまう状態になるのだ。おそらくそのような映画を名作と観客は呼ぶのだろう。

これもやはり当時の戦争体験者の証言に基づいた綿密な時代考証の成せる技なのだろう。戦争映画やドラマはよく見ているが、これほどまでに一般市民の生活に密着した戦争の描き方をされた映画を見るのは初めての体験だった。

そしてまた頭の中で現代とリンクする。震災だ。東日本大震災の防災警報。あの警報と空襲警報のシーンが見事に頭の中でリンクした。ラジオから響くアナウンサーの声。これも阪神淡路大震災当時、懸命になって市民に呼びかけていたNHK大阪放送局の宮田アナウンサーの記憶とリンクした。

太平洋戦争が多大な犠牲を強いて敗戦という形で終結したのは、たかだか70年前だ。以後70年間、日本という国は、戦争を知らない。一度も外国と戦火を交えたことがない。明治維新から昭和初期にかけて、1894年の日清戦争を皮切りに、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、ノモンハン事変、日中戦争、太平洋戦争と、富国強兵の理念の元、西洋に追いつけ追い越せで、海外に植民地を広げて日本という国を豊かにしようと対外戦争に打ってでた時代があった。その結末が総力戦によって300万人以上の死者を出した米英蘭濠との太平洋戦争だった。まるで1945年8月15日以前の時代が嘘のように、あの日を境に日本は戦争をしていない。

70年間戦争を一切せず平和を謳歌している。これは日本史上のみでなく世界史上珍しい事象だ。この珍しい現象は江戸期とも重ね合わせることが出来る。江戸幕府開闢から約260年間、日本人は戦争をしなかった。正確に言えば、九州地方で1637年に起こった島原の乱を最後に、江戸時代を通して鎖国をしていた日本という国は、外国と戦争をしていないし、内乱すらなかった。その直前の内乱に次ぐ内乱に明け暮れていた戦国期が嘘のように、ペリー艦隊の黒船が浦賀に来航して大砲で恫喝するまで、国内外で一切戦火を交えていない。平和を謳歌する中で独自の文化が華開いたが、同時に技術は権力者によって抑制された。そのひずみが、開国後に様々な形で国益を損ねることとなった。武士は堕落し、経済は混乱し、外国人排斥の攘夷の気分が国中に横溢した。

日本人は再び戦争を知らない民族になった。他の民族を見回してみると、お隣の韓国ですら、ベトナム戦争時はベトナムに派兵している。今現在もシリアでは空爆で毎日のように人が死んでいるし、その様子がテレビのニュースやTwitterの画像で伝わってくる。それらの映像を見て、どうも平和というものに対して不感症になっているのではないかと思わざるを得ないような発言をする人たちもいる。つまり日本人は、よく言われるように平和ボケだ。他の国のように徴兵制もないし、他国からの侵略に関しては、アメリカ軍と核の傘に任せきりなので、一般市民は国防を意識する機会もない。だからまともな議論も出来ない。それが良いのか悪いのかは分からない。しかしそんな平和ボケした日本人が、経済的に繁栄した時代の中で唯一覚醒するのが、大震災が起こったときだ。

阪神大震災が起こったとき、街の外に出ると、ガードレールはねじ曲がり、一生そこにあり続けると思われていた高速道路はその巨体が横倒しになり、まるで戦争のようだった。電信柱もねじ曲がっていた記憶がある。酷い所では、火災に見舞われた神戸市長田区などは、太平洋戦争の空襲で焼けた街並みと瓜二つだった。もし日本で再び戦争が起こった場合、このような情景が、歩いても歩いても延々と目の前に広がっていくのだろうと思ったものだった。「絶対」という価値観が音を立てて崩れた瞬間だった。
東日本大震災で津波に襲われる映像をリアルタイムで見たときも、恐怖したものだ。あの当時、僕は阪神電車の大阪難波駅を出た所にある銀行のモニターの前で、海岸を浸食していく津波の様子を、集まった他の人たちと一緒にリアルタイムで見ていた。地下にあるライブハウスに遊びに行く途中だったのだったが、津波警報が出ていたので、地下なんかにいたら津波に呑まれて溺れ死んでしまうんじゃないだろうかと気が気ではなかった。どういうわけか他の人たちは呑気に構えていたが。

「この世界の片隅に」で描かれている世界は、決して遠い時代や場所にある出来事ではない。我々のすぐ身近で起こりうる出来事だ。たかだか70年前の話。日本人の平均寿命すら越えていない年数だ。そこには普通の生活を営む人々の何気ない日常が描かれている。空の英雄や海の英雄は出てこない。重巡洋艦高雄の勇姿は出てくるが、主人公の好奇心の対象として描かれるのみだ。故にこそ、親近感が生じる。戦争なんか起こりっこないと平和を謳歌している我々一般市民にとって、自衛隊の軍艦は、国防の要、戦争の道具というよりも、好奇心の対象でしかない。原爆投下の描写もあるが、まるで遠くの空で雷が光ったかのような素っ気ないシーンだった。しかし大多数の人たちにとって、原爆投下とは、体感的にはそういうものなのではないだろうか。死を体験していないから死がどういうものか分からない大多数の日本人にとって、原爆投下は地獄のような爆風よりもむしろ遠くの空で光った雷の描写の方が、実感に近いのかもしれないし、その方がより理解を促せるのではないだろうか。原爆投下の惨状を見て同情したり哀れんだりするのは簡単だが、それらを自分の身に起こりうることとして捉えることは難しい。しかし日常生活ならば、それはいつもの自分自身の生活と直結する。より体感的な経験となり得る。
戦争シーンの中にも、宝石のような美しいシーンも織り込まれている本作。今までの戦争映画とはひと味違う体験を、大画面と音響に優れた映画館でしてみるのも良いだろう。70年以上前のあの戦争を、あの日の空気を、一般市民がどう感じていたかを追体験できる。

クラウドファンディングによる新しい映画制作の試み

この世界の片隅には、クラウドファンディングによって広く一般より出資者を募り、その資金を元に映画を制作したという。制作には足かけ6年かかったそうだ。映画のエンドロールには、イラストと共に、出資者の名前がずらりと並んでいた。中にはTwitterのアカウント名も掲載されていたから、良い宣伝になっただろう。

一般から募った出資者の資金によって制作された映画が、上映館数わずか数十のミニシアター系の映画館からこのように大ヒットを生み出すという現象は、今後の映画制作の一つのあり方と希望を示唆している。低迷している映画業界に一石を投じた「この世界の片隅に」、単なるヒット作ではない。映画界の金字塔となり得る。

それにしても去年は「君の名は」「シン・ゴジラ」「この世界の片隅に」と、所謂サブカル系の映画が大ヒットした年でもあった。「君の名は」はおそらく1995年の新世紀エヴァンゲリオンに多大な影響を受けて、ただひとり孤高にもアニメ制作の世界に飛び込んだであろう新海誠監督、「シン・ゴジラ」は「ふしぎの海のナディア」やその世界観を継承した「新世紀エヴァンゲリオン」を世に送り出した庵野秀明監督、そして「この世界の片隅に」はマンガの世界から。斜陽と言われて久しい映画界の救世主は、かつて大人達があれほど毛嫌いし、今も偏見に満ちた一部の狭量な連中が忌み嫌っている、アニメやマンガの文化から生まれているのかもしれない。