綺麗な写真とは何か

綺麗な写真とは何か。
綺麗な写真とは何か。

コスプレ撮影などをしていて、その場でデータを確認してもらったり、データをお渡しした際によく言われるのが「綺麗に撮っていただきありがとうございます!」というお礼の言葉。カメラマンとしてもうれしい限り。

と思うのもつかの間、これだけのカメラとレンズ、ストロボ、ライティング機材で撮っているのだから綺麗に撮れて当たり前だよな、とも思ったりする。綺麗に撮れるその先を常に見据えなければならない。

とは言ってみたものの、このような謙遜じみた考え方もなんだか意味がないように思える。単純な二項対立から導き出されたありきたりで安っぽい精神論を言語化したところで、実際に撮影現場でいざ被写体と対面してそれらの精神論をうまく働かせることが出来るだろうか。

「綺麗に撮れて当たり前」しかし当たり前と思うことが最も難しかったりもするし、その当たり前のことを為し得るためはスキルを習得したり適切な機材で撮影しなければならない。そもそもその先とは何か。そんなものが存在するのか。思いが込められた写真。こもってますよ。被写体に思いを込めた写真。一例を挙げて言い換えるならば、絞りを開けて思いっきりボカし、強調したい被写体に視線が向かうようにした写真だ。背景にしても被写体を引き立たせるために取り入れるものを考えなければならない。視線誘導のための構図も練らなければならないだろう。自分の思いを写真を通して伝えるためには、意図を視覚化するためのスキルが必要だ。

綺麗な写真を撮るというのは、そう簡単なことでもない。最適なF値、手ぶれしないシャッタースピード、許容範囲内のノイズ、つまり露出の三角関係であるISO感度・F値・シャッタースピードが写真表現や描写力に及ぼす影響を理解していなければならないし、これらの影響を踏まえつつ最適な写真の明るさ(露出)を、この三要素を調節して導き出さなければならない。

またカメラやレンズの性能それ自体も、写真の綺麗さに影響を及ぼすことも忘れてはならない。やはり高価なカメラやレンズは描写力に優れていて綺麗に写る。カメラやレンズは値段がそのまま性能に比例する。

しかし高価なカメラやレンズを使っているからと言って、ただシャッターを押していれば綺麗に撮れるとは限らない。写真は光の芸術と言われているが、綺麗な写真、更には自分が撮りたいと思う写真、自分が理想とする写真を撮るためには、光について考慮するのが、写真撮影においては最も重要な要素ではないだろうか。

例えばポートレートなら順光よりも逆光で撮った方が女性が綺麗に写るとか、逆に順光・半順光で撮った方が女性の艶めかしさが強調されたり、被写体の力強さや内面にある芯の強さや秘めたる若さが引き出せるとか、ストロボなら直接被写体に当てるよりも、ディフューザーを取り付けた方が柔らかく写るとか、更に大きいソフトボックスやアンブレラを取り付ければ、より肌が美しく写るとか。

野外撮影ではレフ板を用いて顔の影を飛ばすだけでなくキャッチライトを入れると表情が生き生きとする。銀レフや白レフが被写体に与える描写の違いや、天候による使い分け方なども知っておくと綺麗かつ自分が理想とする写真を撮るのにも役立つ。

光のクオリティも重要だ。古い蛍光灯は演色性が悪いから肌の血色が悪く写る。演色性に優れたストロボや撮影用の照明で撮れば、太陽光の下で撮っているかのような綺麗な肌の色で撮れる。

さらに細かく言えば、蛍光灯などの環境光とストロボ光が被写体に及ぼす割合についてもカメラの設定を見据えながら勘案しなければならない。色温度を大胆に変えなければ自分の思い通りのイメージで撮れないシーンもあることだろう。

構図も大切な要素となる。綺麗な分割構図はそのまま自然界の法則美に繫がる。

こうして考えていくと、綺麗な写真を撮るというのは様々な工程や思考を経て、様々な要素が絡まり合って仕上がっていくことが見えてくる。写真は光の芸術といわれているが、この芸術=アート(art)という言葉には、技術という意味もある。さらにラテン語まで遡れば、英語のartの語源はラテン語のars(アルス)であり、その意味は技、技術、学術であったという。更にarsの語源はギリシア語のtechne(テクネ)まで遡り、これも技術という意味。こちらの方が英語のtechnique(テクニック)と似ているので親しみやすい。古代ギリシアと言えば奴隷制の下、哲学や芸術が栄えた時代でもあった。

考えてみれば絵画も彫刻も音楽も詩も技術を身につけなければ上手な作品は作り出せない。写真はシャッターボタンを押したら簡単に撮れるから技術など必要ないと思われがちだが、やはり綺麗な写真を撮るためにも上述したようなスキルは身につける必要がある。さらなる高みを目指すためには常にスキルを磨いていかなければらならない。そもそも技術を身につけないことには、自分が意図している写真、撮りたい写真、主観性を視覚化して写真に反映させることもままならないだろう。写真という芸術は、簡単なようで、奥が深い。

ただ思いを指先に込めているだけでは何も伝わらない。ぼかして撮りたいぼかして撮りたい綺麗な肌で撮りたい綺麗な肌で撮りたい思いを込めたい思いを込めたいといくら念じたところで、F値を小さく設定したり、被写体に近づいたり、ズームレンズなら焦点距離を変えたり、焦点距離の長い単焦点レンズに変えたり、強い日差しの中逆光で撮ったり、日陰に入って貰ったり、撮影の時間帯を選んだりと、思いを明確に意識して方法に転換し、視覚化して写真に反映させなければならない。

綺麗な写真を撮る、というのは一見単純なようだが、たくさんの思考と経験が詰まっている。もちろんお金も。