風景写真のフィールドに踏み込む際の心理的ハードルについて2、3思うこと

神戸の丘の上から。夜景は綺麗だが、どこか物足りない。場所選びの大切さを痛感した。
神戸の丘の上から。夜景は綺麗だが、どこか物足りない。場所選びの大切さを痛感した。

2008年に初めて花火会場で花火撮影をして以来、その頃はフルサイズ機とLレンズを所有していたというものの、写真にそれ程お熱というわけでもなく、ダラダラと時が過ぎ、現時点で花火撮影に行ったのは、僅か5回程度だったと記憶している。

風景写真というのは面倒臭い。まず撮影場所を事前調査しなければならない。こういうのは苦手なのだ。

風景専門の写真雑誌を紐解いて、絶景が撮れる場所を調べ上げる。大抵そういう場所って、車でしか行けない田舎の山奥だったり、半島の端っこの方でやたら遠かったり、電車とバスを何度も乗り継いでそこから徒歩で更に1時間とか・・・・・・。行く前から諦めてしまう。どうせ他の誰かが撮って写真をネットにアップするし、それ見とけば良いじゃん、という気持ちになってしまう。

花火は都会ではないか、と言うかもしれない。しかし「これは!」と唸らせる花火の写真は大抵凄く美しく撮れるスポットで撮っている。つまり何も下調べもせず花火大会のポスターを見てカメラと三脚をぶら下げてふらりと会場を訪れてせっせとカメラと三脚をセットして撮ったところで、余計な物が写り込んでいたり、前に巨大な橋が架かっていて、せっかくの花火がブツ切れていたりと、イマイチな写真になってしまう。そういう写真を撮ってしまうと、ガッカリする。せっかくここまで来たのにと。そして更に風景写真から遠ざかってしまう。

ふらりと訪れた場所で撮ってみたが、橋が邪魔をして花火がブツ切れに。
ふらりと訪れた場所で撮ってみたが、橋が邪魔をして花火がブツ切れに。

良い写真を撮るのは大切だ。自分の満足のいく写真を撮れればそれが快楽となり、次への撮影のモチベーションに繋がる。上手く撮れないと、自分に自信がなくなりフラストレーションが溜まる。特にバランスが良く尚且つ美しく撮れる場所に辿り着くのが難しい。

花火を含めて風景写真というのは、被写体を最高の美しさで写せる場所撮りが大切なのだ。この場所撮りというのがやる気が起きない。占有である。一時的ではあるが。どうも筆者の性格的にそのような行為に及ぶのが難しい。

というわけで、これから風景写真に挑戦しようと思ったら、まずは絶景に撮れるロケーションの入念な下調べが大切である。幸い今の時代はインターネットのお陰で、撮影スポットの情報が共有できるので、パパッと検索で調べることが出来る。便利な時代になったものだ。