吉野山 – まほろば探訪 第16回

吉野の美しいヤマザクラを写真に収める観光客。
吉野の美しいヤマザクラを写真に収める観光客。

朝のNHKニュースで吉野の桜が満開というニュースをやっていたので、行ってみようと思い立った。翌日、早速カメラ機材をひっさげて電車に乗り吉野へと向かう。

電車で揺られること2時間半、吉野駅に着くと、改札を抜けた中央に手書きの詳しい地図がプリントされたチラシが山積みで置かれている。駅から降り立った観光客は皆それを奪い合うように取り、吉野の郷へと足を運ぶ。両面に細かい文字で印刷された地図を見たが、初めて吉野を訪れる筆者にはパッと見、分からない。コレでも地図は読める男だが、どうも情報が多すぎて頭の中に入ってこない。インターネットである程度のことは調べていたが、やはり初めての土地のことなので、右も左も分からない。

少し歩くとロープウェイ乗り場に辿り着く。しかしせっかく来たのだから、景色を愛でながら足で歩こうと七曲がり坂の方へと向かう。名前の通り、坂がクネクネと何度も曲がっている。7回曲がっているだろうかと疑問に思ったが、いちいち数えはしなかった。

吉野の桜は4つのステージに別れている。下千本、中千本、上千本、奥千本。この日は下千本、中千本は見頃を過ぎ、上千本が満開で、奥千本は確か三分咲きとのことだった。下千本から奥千本に向かうまで標高が高くなり、故に吉野の桜は満開の時期が各ステージでずれるので、1ヶ月は楽しめるという。

今歩いている七曲がり坂が下千本の地域だろうか。残念ながら既に緑の葉に覆われていた。吉野の桜と言えば、いにしえの山桜だが、それとは違う品種の桜が三本満開で咲いており、木の下で奥さん達が弁当を広げてぺちゃくちゃとお喋りをしていた。

坂を登り切ると、土産物屋やお食事処がたくさん目につくようになる。さてどっちだろうと右の方に歩いて行ったら、反対側の方、観光バスがたくさん止まっている駐車場に辿り着いてしまった。右往左往しながら、お食事処で昼食を取ったり、みたらし団子を買ったり、コテージ風の店で桜アイスを口にしたりした。外はすっかり新緑だが、この店の窓からおそらく満開の桜が見渡せたのだろう。ということはこの辺りが下千本だろうか。腹も膨れた所で店を出て、黒門を抜ける。

とにかく土産物屋が多い。名物の柿の葉寿司や葛餅の他にも鮎の塩焼きや椎茸のバーベキュー、タケノコやこんにゃくを売っている。

金峯山寺蔵王堂が目の前に現れる。なるほど威容を誇っている。しかしこの日はお寺でのんびりする気分にはなれなかった。何だか体がどっと疲れている。桜はどこだ。

坂は緩やかになったり急になったり。所々で、町屋の空間に隙間ができ、遠くに山桜で色づいたまだら模様の山が見える。確かに綺麗だ。近くで見るソメイヨシノのような派手やかさはないが、山は上品な佇まいをしている。

旅館や高級料理店や民家や古民家を改造した小洒落たカフェなどが入り交じる中、先へ先へと進むとY字路に出た。右にはバス停。料金は400円。このバスに乗れば40分ほどで奥千本にまで辿り着けるが、待ち時間は50分。行列が出来ている。桜は綺麗ですかと係員の女性に聞いてみたら、なぜかう~んと答えを渋る。まだ三分咲きか五分咲きだものね。到着時間が4時になってしまうし、せっかくここまで来たので、左の道を選び上千本へと向かう。

さて、ここから先は急な坂が多い。しかしコンクリートで舗装された山道のためか歩きやすさはある。池田の小高い山から夜景を撮りに登った時は足がパンパンになって尋常ではなかったが、今回は比較的体が動く。時折奥千本を見てきた帰りだろうか、狭い道を自動車が降りてくる。後から気づいたのだが、バスで奥千本まで行って徒歩で下る方が断然楽だし、時間の節約にもなる。12キロの荷物を抱えながらの上り坂はキツかった。自動車や奥千本から帰ってきたと思われる観光客達とすれ違う。アメリカのアリゾナ砂漠を疾駆していてもおかしくない黒光りしたハーレーの巨体が三台、坂道を下ってきた。乗っているのはどれも60は過ぎているであろう老人だ。最後のライダーと目が合い、お互い不敵な笑みを浮かべる。

ようやく咲いている山桜を見つけたが、ここが上千本なのかどうか分からない。ホームページで見た桜の景色とはどこか違いもの悲しい。場所を間違えたのだろうか。少し道をそれて奥に向かうと、先ほどまで歩いてきた吉野の町並みが見渡せる。ここがフォトジェニックな写真が撮れるあの有名な撮影スポットだろうか。

まだ先があるので登っていったら、花矢倉展望台に辿り着く。ああ、ここだここだ、この景色だ、山桜と夜景を俯瞰できる場所は。しかし残念ながら山桜は緑になってしまいピンクの色はひとつも見えない。中千本が満開の時期に来なければならなかったのだろう。来るのが遅すぎた。

せっかくここまで来たのだからと更に上に登ると、古めかしい鳥居が見えた。吉野水分神社。綺麗なしだれ桜が一本、古風な社に囲まれひっそりと咲いていた。

風雪に耐えた古い鳥居が視界に入ると、一気に旅の労苦が和らいだ。
風雪に耐えた古い鳥居が視界に入ると、一気に旅の労苦が和らいだ。
神社にの境内にひっそりと咲くしだれ桜。
神社にの境内にひっそりと咲くしだれ桜。

更に上へと目指す。舗装された道路から、山道の階段を上ると、城跡の展望台。ここも山桜が咲いていたが、派手さはない。展望台からは吉野の山を一望できる。しかし何かもの悲しい。南を向くと、奥千本の桜の塊が見えるが、やはりぽつんとしている。

城跡から見えた桜の塊。あれが奥千本だろうか。
城跡から見えた桜の塊。あれが奥千本だろうか。

さすがにあそこまでは歩いて行けないと遠目で諦め、元来た道を戻る。再び花矢倉展望台へ。アマチュアカメラマンが二人、三脚を立てて撮影しているほか、人はもうまばら。地元のおじいさんが「今日は焼けるかな」と何度も呟く。何が焼けるのだろう。ハーレーでやって来たやたらテンションの高いカップルが写真を撮りまくっては歓喜の声を上げる。隣では先ほどすれ違った若い女と着流し姿の外国人観光客の男が打ち解け合って英語でお喋りしている。僕はただひたすら目の前の風景に集中して、これから何が起こるのか期待を胸に秘めながら、待ち続ける。しばらくすると空が夕焼けた。「もっと焼けるんやけどな」と呟く。真っ赤になるのだそうだ。桜は撮れなかったなら真っ赤な夕焼けが撮れれば良かったが、それも適わず。夕陽はあっという間に山に隠れてしまった。

神々しい光芒が降り注ぐ。神は死んだと言われるご時世、神様は本当にいるのかも知れないという感情を回帰させる山だ。
神々しい光芒が降り注ぐ。神は死んだと言われるご時世、神様は本当にいるのかも知れないという感情を回帰させる山だ。

夜も更ける。皆帰路につき、隣では若い男のカメラマンが一言も喋らず黙々と夜景を撮っている。店はとうに閉まりおじいさんと会話をする。「私はあの辺に住んでおりましてな、家を建てまして」「ここから徒歩で吉野駅までならどれくらいかかりますか。1時間で帰れますか」「1時間は無理でしょうな。2時間くらいは見とった方がええかな。若い人の足だったらそれくらいで行けるかも知れませんけどね」

あと数日早ければヤマザクラに色づいた吉野の夜景が撮れた事だろう。しかし人も大勢いたに違いない。来年リベンジすることを誓いながら、露のように燦めく夜景を撮り続ける。

花矢倉展望台から吉野町を臨む。
花矢倉展望台から吉野町を臨む。

7時半になり、そろそろ山を下りないと終電に間に合わないので、機材を片付けることにした。隣にいた若い男は既にいない。三脚を収めたリュックを担ぎ、LEDライトで足下を照らしながら急ぎ足で山を下りる。空を見上げると満天の星。星空指数は100と出ていた。綺麗に撮れるだろうなと思ったが、駅への道を急ぐ。

実際には50分ほどで吉野駅に辿り着いた。これならもう少しゆっくりして三脚を広げ、星空でも撮っていれば良かったかも知れない。大勢の観光客を収める広い駅には人っ子一人いない。もう少し早く来て、奥千本までバスで行けば良かったかも知れない。西行法師の庵があるという。派手さはないが、奥ゆかしいヤマザクラを楽しめるとのことだった。文豪谷崎潤一郎の小説「吉野葛」にも奥千本のくだりが少しだけ出てくる。次は秋の紅葉の季節に行くのも良いだろう。暖かい電車の座席に揺られながら、頭の中では来年も咲く吉野の満開のヤマザクラに想いを馳せていた。