京都を舞台にしたドラマや時代劇でよく出てくるのが、なだらかな山を遠景に五重塔が見えるワンシーン。ここからのシーンは京都ですよ、と視聴者に示唆するかのように鐘の音と共に差し込まれる。
あの五重塔がどこの五重塔なのか、いまいちよく分からないが、法観寺の五重塔は、京都観光の中では最も有名で人気のある景色ではないだろうか。
今回の記事では法観寺を取り上げるが、法観寺には参詣したことがない。いつも清水寺へ行くか帰るかする際にこの塔とかならず出くわすので、五重塔の存在は知っているが、どこのお寺に属する塔なのかは今の今までさっぱり知らなかった。
聖徳太子が建立したという伝承が残っているお寺で、やはり他の京都の寺院に漏れず、戦火で何度も焼失しては再建されている。
最近昔撮った写真を見返しているのだけれど、五重塔を背景に据えたポートレート写真などが出てきて、つい3,4年前のことなのに懐かしくなった。
五重塔は上りの坂から観る塔と、下りの坂から観る塔の姿の二通りある。清水寺へ向かうときは、市バスの清水道で降りてそこから上るので、この塔と正面から出会うことはないが、帰り道ではばったりと、京都の空を飾り立てるその勇壮な姿を見かけることが多い。
昼間の八坂の塔も良いが、やはり夕暮れ時が最も叙情溢れる時間帯だろうか。空が赤く染まり、やがて夕陽が沈み、ブルーモーメントが訪れる。写真家にとってはまさに絶景を撮影できる瞬間だ。
撮影に赴いたのは新緑が眩しい昨年5月中旬と、春の訪れを一足先に感じさせる灯籠祭りをやっていた今年音3月中旬。5月は三脚を使わずでも地で撮影したので、ノイズの多い写真となっているが、やはり気にならないし綺麗に撮れている。もっと綺麗に撮りたいということで、灯籠祭りもあるし三脚を持って撮りに行ったら、いつもよりも9割増しの観光客で、皆感慨深げに八坂の五重塔をスマホやデジタルカメラで撮影していた。
三脚を使った撮影と手持ち撮影の大きな違いは、長秒露光で撮れるか否かということだが、もう一つ違いがあるとすれば、手持ち撮影は構図を手軽に導き出せる点だろう。三脚を使用した場合は1度練って構図を決めるとどうしてもその後の構図を変えるのが面倒くさくなってしまう。水平を取り直さなければならないし、場所も他のカメラマンがいるので変えづらい。何より移動時に三脚が結構な荷物に感じる。そういった心理的な障壁が柔軟な構図変更を鈍らせる。
石畳の路地の脇に灯籠が並んでいる光景は幻想的で美しかったが、わざわざ人が多い時期に八坂の塔の夜景を撮って人の写り込んでいる写真もどうだろう、どうせなら人が居ないときの方が綺麗なのではないかとも思った。
長秒露光にすれば動いている人やレンズの前を横切る人は写らないのだが、皆スマホを掲げてじっと立っているわけだから映り込んでしまうのだ。特にスマホの明かりはハッキリと映り込む。
ならいっそそういう人の残像を生かした写真を撮ってみようか。ハナヤ勘兵衛のナンデェ!!みたいな。
境内に訪れることがあれば、またこのページで追記しようと思う。